古参に聞く
思い出話は極上の「酒の肴」
東洋電装の50周年にあたり、桑原社長と東洋電装の長老たちによる座談会を開催いたしました。
写真アルバムを見ながら思い出話や苦労話、今後の展望など様々な話題があふれました。
- MEMBER
- 写真上段左から
桑原弘明 2008年入社
東洋電装グループ代表取締役
桑原康明 1996年入社
空調システム事業リーダー
田中政宏 1994年入社
バロ電機工業代表取締役
驛場啓之 1996年入社
制御盤システム事業設計チーム
山根清孝 1999年入社
経営管理部業務管理グループ購買チーム
- ATTENDEES
- 写真下段左から
藤村志織
経営管理部マーケティンググループデザインチーム
惠美晴香
高速道路システム事業 レクリエーション委員会
野北美穂
経営管理部業務支援グループ総務チーム
正木範子
経営管理部マーケティンググループデザインチーム
安原翔太
高速道路システム事業 レクリエーション委員会
※ 敬称略
まずは皆さんの社歴から
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桑原(弘):50周年を迎えるんだけど、あまりにも昔の情報が分からなさ過ぎて…。笑
僕が入社したのが 16 年前なんですけど、それ以前のことをほとんど知らないんですよね。 だから、この機会に長老に色々お話を聞きたいなと思って、集まってもらいました。今日は宜しくお願いします。
乾杯!
全員:かんぱ~い!!
桑原(弘):皆さん入社はいつでした?
田中:1994 年の4月位かな。 35 歳位で入社したんだよね。
驛場:僕は1995 年?いや違う、1996 年。 19 歳だったかな。
桑原(康):自信満々で間違っているし! 笑
桑原(弘):驛場さんは、第1号の新卒入社なんだよね。
田中:山根さんは驛場さんの後だったよね。 元々、お客さんで、日本ファイリングにいたんだよ。 前社長に連れて行ってもらった時に山根さんに初めて会ったのを覚えている。
山根:だから入社前から前社長のことは知っていたんだよね。西原のドンキ裏に自宅兼自社工場があった時に、社長か桑康さんどちらか中学生の時にお会いしてますよ。
桑原(康):よく、あんなところに住んでいたなと思いますよ。 苦笑
西原の自宅兼自社工場
若かりし頃の写真を見て昔を懐かしむ
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平成11年 社員旅行時の東尋坊にて
驛場(左上)、故桑原敏彦会長(右上)、桑原(康)(左下)、田中(右下)
左から驛場、故桑原敏彦会長、桑原(康)、田中
桑原(弘):これは社員旅行?
桑原(康):そうですね。 東尋坊の時の写真ですね。
野北:え~!みんな若い。しかもめっちゃかっこいい!
全員:うわー!(全員頷く)
驛場:もしかして、今はかっこよくないってこと? 笑
桑原(弘):驛場さんも、桑康さんも、ぱっと見、全然わかんないよ!
三段峡近くの現場にて野北:もしかして、こっちの写真は山根さんですか?
山根:あ、これ私。
全員:髪がある!しかも黒髪!誰だか全然わかんない!
当時と現在を見比べられる
驛場:なんか皆さん、もう「ウォーリーを探せ」みたいになってますよ。
全員:大爆笑
東洋電装の原点は前社長のモノづくり精神
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安原:この写真は2000年頃ですよね。
田中:そうだね。まだ西原に事務所があった頃だね。
山根:当時はさ、本当にいろんな仕事をしたよ。 製品を梱包するダンボールに自分たちでシルク印刷もやったもんだよ。 シルク印刷用の原盤も作ったりしてた。会長はとにかくモノづくりにストイックな人でね、移動棚や書庫なども全部作ってた。
桑原(康):そうそう。予備品箱ってのがあって、プラスチックの箱なんだけど、当時、会長は木で作ってたよ。買えばいいじゃんって思うんだけど、作っちゃうんだよね。
桑原(弘):とにかく、会長はなんでも自分で作るんだよ。「 無いものは作れば良い」ってね。会長のモノづくりに対する考えが、東洋電装の原点として今でも受け継がれているんだよ。
モノづくり精神が作り出した製品たち
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山根:そういえば、カキいかだ って、いつだっけ?
桑原(弘):西原に事務所があった頃だよ。
藤村:カキいかだ って何ですか?あの牡蠣ですか?
山根:そう、カキいかだ ってさ10~15メートルの深さまで牡蠣をぶらさげているんだよ。ところが牡蠣の成長に必要な植物プランクトンは海面近くに多く生息している。だから、この層の海水を吸い込んで深いところで出せば良いっていうんで、会長の指示で驛場さんが設計して作ったんだよ。
桑原(康):パイプにちっちゃい穴を作って、そこから空気を吸う。で、海水と一緒に流しこんだんだよ。そのときに電気いるでしょ。だから カキいかだ の上に発電機をおいてコントロールさせてたんだ。
桑原(弘):コントロールどうやったと思う?海の上なのに。
同席者一同:あぁ確かに・・・。 どうやったんだろう。。。
桑原(弘):これはね無線でね制御しているんだよ。 燃料がなくなったらわかんないでしょ。 だから当時、無線で監視装置作ったんだと会長から聞いてたよ。
驛場:えっ、そうだったんですか?自分も知らなかった
山根:ちなみに燃料は軽油。外側は渡り鳥のフンだらけ。笑 でも、東洋電装が設計したやつはね、中側が全然錆びなくて綺麗だから、20年以上経過する今でも使われているものがあるんだよ。
惠美:へぇ。 昔はそんなものも作っていたんですね。
正木:浜岡原発って静岡のですか?
田中:そうそう。大きな原子力の炉を洗浄するのに、クレーンで吊るんだけど、海風が強くてうまく洗浄できない。だから、そのまわりに遮蔽板みたいなシェルターを作って、風除けにしようっていう話が中部電力で出たらしいんだよ。
こういうのって技術的にすごく難しいでしょ。そのシェルターの動きを制御する会社を探していたけど引き受ける会社がどこにもなくて、静岡から西へ西へと広島にまで話がきたんだよ。ミスや事故は一切許されない難易度の高い案件なんだけど、会長は「できるんじゃないか」って言うんだよ。
僕、思わず「いやいや原発ですよ」って…。
桑原(弘):あれ、大きさどれくらいあったっけ?
田中:何十メートル?大きかったよね?
驛場:移動距離は十何メートルとかあったかな?
田中:枠を作って、レールを敷いて、炉と一緒に動きながら洗浄していくんだよ。
驛場:入社間もない頃、納入後のメンテナンスで僕も現場に連れて行ってもらいました。これが2台あって、同時に動かなければいけない。これも距離が離れちゃいけないんで、二人で見ながらクレーンを挟んで両脇にフェンスがある感じ。だったかな。
田中:俺、現場には行ってないんだけどね。 笑
全員:これだけ語って、行ってないんかい!(総ツッコミ)
山根:でも、これは自信につながりますよね。
桑原(弘):浜岡原発って、いつだったかな? 驛場さんが入社する前だから1994年頃だったっけ。
田中:そんときは、まだ俺しか入社してなかったかな。この仕事をやり遂げた後、前社長がタバコ吸いながら、心からほっとしたような表情をされててね…。僕も嬉しくなって、心から「よかったですね!」っていう話をしたんだよ。
桑原(弘):驛場さんが入社したとき集中空調とかやってた?
驛場:当時の空調は冷却水でしたよね。ぼく空調はやってなかったですけどね。
桑原(康):え?何やってたん?
驛場:何やってたんだろ。 笑 機械まわり?
田中:基町クレドのビル空調の半分位は東洋電装製だよ。俺が入社した時に、基町クレドやったって聞いたから30 年以上前かな。営業だからさ、入社すぐに、あそこのビル・施設も東洋電装がやっているって聞いて、「うちみたいな小さな会社がこんな大きな仕事をやっているなんてすげぇな」って思ったもんだよ。
「困ったら東洋電装」それが伝統になっている
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安原:昔から制御盤をやってきて、東洋電装の名前が広まって、それで「東洋さん、これできない?」って、原発なんかの大きな案件の相談も入るようになったんですね。
田中:他にも、東洋電装には「これ本当にやるんですか?」っていう相談がたくさんあったよ。 会長は、これまでやったことがない仕事でも絶対に断らずにチャレンジするんだよ。 いつも「モノづくり」にストイックだったね。
安原:今でもそうですね。
山根:困っているお客様の最後の望みが「東洋電装」なんだよ。俺らはさ、これからもずっと「最後の望みの東洋電装」であり続けていきたいよね。
驛場:山根さん、今、良いこと言いましたよ。 今日初?
全員:大爆笑
若手ヘンタイが活躍できる東洋電装を目指して
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桑原(弘):僕ね、みんなにいつも言っているんだけど、ヘンタイが欲しいんだよ。最近も広工大の懇親会で「どんな人が欲しいですか」って、聞かれたから「うちはヘンタイが欲しいです」ってね。
驛場:「えっ?」て、ならなかったんですか?
桑原(弘):理系の人にはなんとなく伝わるんだよ。うちだと、例えば木原さんとか、上土井さんとか、金重さん。 あと驛場さんとか。(弊社のエンジニア) こんだけヘンタイが集まった会社は他にないよ。 笑
田中:突破口を切り開くのは、そういったヘンタイなんですよね。 常識人じゃ、できないですもん。
桑原(康):マツダに知り合いがいて聞いたことがあるんだけど、マツダも一部のヘンタイが会社を支えてるんだって。
全員:へぇぇぇぇ。
桑原(弘):技術のヘンタイはね、やりきるんだよ。
驛場:そっすね。やったことがないことをやるのが好きです。
桑原(弘):やってる側は、ただやってるだけなんだけどね。会長もそうだったけど、エンジニアってある意味ヘンタイ。今は、社内に何人かヘンタイがいるから、ちょっと安心はしてるんですけど、これからは若手のヘンタイを育てていかなきゃいけない。普通の会社に入ったらはじかれちゃうけど、東洋電装なら開花できるんだよ。こういったヘンタイを守ってあげないと。
驛場:最近、若手が伸びてくるのが一番嬉しいんですよね。
田中:ほんまよ。 若手がどんどん成長して自分から「やる」って言ってくれると嬉しくて、応援したくなる。
安原:50周年から51、52年と次へ進んでいくには、次の世代の成長が楽しみということなんですね。自分たちがやるというよりは若手にやっていってほしいと。
田中:もちろん。次の世代がどんどん活躍してくれたら、それに越したことはないよ。そういうヘンタイが育つ土壌を作っていくのが今かな。
安原:僕の上には尊敬できるヘンタイ上司がいっぱいいるので、僕も頑張りたいと思います。今日はいろんな話が聞けてよかったです。ありがとうございました。
同席者の感想
昔の写真を見ながら懐かしそうに思い出話に弾む大御所たち。お酒が入って「酔っ払いの集い」のようになっていきました(笑)。
酒が進むにつれ、先人たちが技術力で数々の仕事にチャレンジしてきたこと、「モノづくり」に一切妥協を許さない業務姿勢や深い情熱を熱く語りはじめ、東洋電装の原点を改めて知る良い機会になりました。
私たちもいつか笑って語れるよう、優秀なヘンタイを目指そうと心に誓ったのでした。